西洋医学の終着点~集中治療室 No.10 あなたに会いたくてPart5

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昨日の夜から今朝にかけて、
心拍数は安定していたものの
血圧の数値が10程も下がっていて
思わず目を疑いました。

胸が張り裂けそうな
張り詰めた危機感を感じました。

それでも、降下してゆくモニターの数値を
私達にはどうすることもできません。

私達はドクターでもなく、
病気を変わってあげることもできない。
ただ、寄り添うことしかできませんでした。

朝の面会の後、
朝食を取るために立ち寄った病院のカフェで、
目に見えて低下をはじめた
義父の血圧の値が頭をよぎりました。


私の中ではっきりと、
これが最終段階であり、いよいよ
「お別れの時が近づいている」という
虫の知らせが胸に迫ってきました。


以前、朝日新聞のインタビューで
終末期医療のプロの女性が
「多くの人が”お迎え”の話をするのだ」という記事を
読んだことがあります。

個人差はあるが、亡くなる1週間前ほどに
何らかの予兆があるのだそうです。



それは先に亡くなった親しい人だったり、
私の家族のケースように、庭で孔雀が遊んだり、
きれいな花畑を見ることもあるようです。

すでにもう義父の傍らには
”お迎え”が来ていることを感じ、

残されて一人になる夫や、
おじいちゃんもおばあちゃんも
いなくなってしまう娘のことを考えると、

不憫で、

胸騒ぎとともに、
例えようのない焦りを覚えました。

実は、義父の体調がまだ安定していた先週末から、
幼稚園の送り迎えの場面で、
突然、「ジャクリーヌ」という早世した義母の名前が
頻繁に私の耳に入るようになっていました。


これまで6年間、ここに暮らしていて
一度も無かったことです。



知古の人が彼女の名前を
何故かふいに20数年ぶりに思い出しては、
私に「お義母さん、えっと…ジャクリーヌよね!」と
彼女の話をし始めるのです。


加えて、これまで4人だけで暮らしていたはずの
私の身辺が突然、一転しました。



昔から夫一家を知るという、
義父の代わりに娘と私の送迎を名乗りでてくれた
近所の親切なおばさんの手引きで、
少しは他の父兄たちとも知り合うようになりました。


彼女は3人の孫の母代わりをしている人で
朝の送り迎えの後、私を自宅へ誘ってくれ、

孫達が小学校で習ってくる
「国語(フランス語)」のプリントを見せて
私にもやらないか、と言ってくれました。



私は以前、娘を妊娠したタイミングで
それまで通っていた語学学校に
通えなくなりましたが、

まだまだ地元の人と
会話ができるレベルでは
ありません。

※英語でも何気ないお喋りは
一番難しいのです。


生きていたらそれなりに大変でもあったでしょうが、
口数の少ない男所帯(社会)で
コミュニケーションを取るのも大変だったので、

何度「こんな時にお義母さんがいれば」と
思ったことかわかりません。

小さな子供を抱えていて
車も持っていないので、
夜間、隣町の語学学校へ通うのも
実現しないまま4年間が過ぎていました。


フランス語の先生という訳ではないけれど、
彼女なら言葉をはっきりと話すし、
自分から他人を助けようとするような
ボランティア精神の持ち主。

歩いても徒歩で3分程度、
しかも子供が言葉を覚える順序で学習できる―、



私にとっては、願ってもない
夢のような申し出に、
正直驚き、戸惑いました。

そして、私にできるだろうか?
彼女の期待に応えてちゃんと
続けることができるだろうか、と思いましたが、

これからもここで家族と暮らしたいのであれば、
本気で家族を守りたいのであれば、

いくらフランス語嫌いの私でも
避けては通れないポイントですから、
他に選択肢はないのです。


田舎で外国人の話すフランス語が通じない。
新しい地元に友達もいない。
車も交通手段もない。
孤独な主婦の立場を理解してくれる人もいない。

私にとってこれまでの6年間、
ずっと滞っていた物事が
不思議とスムーズに流れ始めました。


そんな事もあり、
私は彼女が来たことを確信していました。

金曜日の朝、幼稚園に娘を送りに行った時、
彼女が知らせてくれたからです。


本当は、義父が慕っているお父さんかな、と
思っていたのです。



義母が亡くなった当時、まだ11歳だった夫は、
自分を置いて死んでしまったことを
最近まで、まるで昨日の事のように
怒っていました。

だから10代になって悩んだ時に、
あまりにも苦しくて、
お義母さんの写真をすべて焼いてしまい、
自分の記憶からも意識的に”削除”したのです。


でも、いくら記憶から消そうとしても、
納得できていないことを
無理やり片付けようとすれば、
歪みになります。



義父からもあまり良い話は聞かなかったのです。
本当は自分で決断すべき人生の選択の悔いを
すべて彼女のせいにしていました。

ところが、いざ蓋を開けてみれば、
長い間、家族を不在にしていたジャクリーヌ!


本当に意外なことに。


でも彼女は私達家族の抱える問題も、
深い心の闇も、
ちゃんと分かっていてくれたのでしょう。



おかしな話をしていると
思われるかもしれませんが、

彼女を失ったことで
家族が抱いた悲しみと、怒りと、絶望感と
ぽっかりと空いた穴を埋められるのは、


確かにお義母さんしかいません。


今は、お互いに支え合う家族の一員として、
役不足ながら、私なりに
夫と義父を支えていたつもりの私を、

最後の重要な場面で頼らせてくれたことに
感謝しています。


でも私はまだこの時、
「お義父さんを連れていかないで、」と
心の中で思っていました。


つづく


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