西洋医学の終着点~集中治療室 No.8 あなたに会いたくてPart3

BIOレシピビオキッチンヨーロッパノイゼッテ
(春を告げるノイゼッテの花)

金曜日の朝、
私も娘のまだ熱が下がりきっていませんでしたが、
娘をだっこして7:00から15分間だけ許された
面会に行きました。

待合室に入った途端、
やはり前日と同じように、ここは異常なほど
電磁波が渦巻いているような
妙な違和感を感じました。

前日のことがあってから、
私は集中治療室の意味を
初めて危機感と共に理解しました。

集中治療室に入る前には心の準備をして、
笑顔で義父に会いに行きました。


やさしい悪魔の子守唄のような
不気味なモニター音の響く集中治療室への
長い通路を進むのは、

普段私達が入ることを許されない
臨死空間への結界をまたぐような瞬間でした。

パパがいるのが見えました。

毎回、モニターを見上げて
血圧と心拍回数を確認する瞬間は、
こちらの心臓がとまりそうなほど
ハラハラします。


義父の心拍数は安定しているものの
血圧が昨日より10程落ちていて
思わずぎょっとしました。

左のベッドは昨日の夜までいた
全身浮腫で脳死状態の人から、

朝食を食べている
黒髪のメガネをかけたおじさんに
変わっていました。

同じように副作用が出ていたので、
ひと目でがん患者であることが分かりました。

昨晩亡くなった隣のベッドも、
もうありません。


パパはまだ眠っていましたが、
夫と笑顔で顔を見合わせ、冗談のように

「パパ、おはようごさいまーす、
朝ですよー、」と声をかけると
ハッと目を開け、気が付きました。


私達が来たのを見たパパは、
身体を起こして、夫に何かを伝えようとしましたが、
何が言いたいのか、何度聞き直しても
どうしても聞き取れません。

昨日はどうにか話ができていたのに?と
十分な声が出るだけの肺活量が
なくなってきているのを感じました。

娘を抱え上げ、顔を見せた途端、
まるでジョークのように
娘がくしゃみをパパの顔に飛ばし、
夫を怒らせました。

でも、例え私達がインフルエンザでも、
病気の進行は待ってはくれないのです。

本当はウイルスを集中治療室に持ち込むなんて
厳禁なのでしょうが、今はそれでも
娘と義父を会わせることを優先させました。
スタッフの人達もそれは暗黙の了解です。



急いで娘の鼻水をふき、
パパによく娘の顔が見えるよう
再び抱え上げると、

パパは娘の頬を撫でながら、
遠い目をしてじっと見つめていました。

まるで可愛い孫娘の顔を、
いつまでも忘れないよう
脳裏に焼き付けるように。

私はその目に見覚えがあるのです。
祖父と会うのが最後となった
カナダ留学に向かう私を、
家族が空港まで見送りに来たあの日。

まさかそれが最後になるなんて
お互いに思ってもいませんでしたが、

じゃあ行ってくる、と声をかけた瞬間、
なぜか祖父が私を見たまま動かなくなり、
そのまま時間が止まったようになりました。

あんまり穴が空くほど私を見るので、
「大丈夫?」と声をかけると、
祖父はかすれた声で「あぁ、」と頷きましたが、
そのままよろけてしまうのでは、と心配した程です。

彼はどこか本能で
これが最後のお別れになることを
とっさに感じたのかもしれません。


あの時の祖父と同じ目で、義父が娘の顔を
じっと見つめていることを悟った私は、
娘を必死で抱きかかえました。

次の瞬間、いつも通りに
モナリザのようなやさしい微笑みをたたえた
看護婦さんがやってきて、
再び私達の時間が動き始めました。

「汗びっしょりだよ」という夫の言葉に、
パパの前では「ほんと!」と
笑顔で返しましたが、

本当は、
この瞬間、生命の限り頑張っている
パパの顔をひと目見るために、
パパに少しでも安心してもらえるように、

私達は毎回、汗びっしょりになって
必死にこの集中治療室に通いました。



「頑張ってね、またあとで、」と声をかけると
再び瞼を閉じ、

私達が廊下を曲がるあたりで
昨日まで振ってくれた手も、
もう挙がらなくなっていました。

次の瞬間、私達が手を振るのを見た
黒髪のメガネのおじちゃんが、
大声でわめき暴れ始めました。

驚きましたが、
確かに彼の置かれた状況を考えると
普通の精神では耐えられないことは
想像にかたくありません。

これが普通の人の
ありのままの姿なのかもしれない、と
思いました。

パパは普段怖がりなように見えて、
実は本当はとても強い人だということを
改めて認識させられました。


待合室に戻ったところで、
集中治療室に入った時点で
片方の半分ほどしか機能していなかった腎臓が
完全停止したという話を夫から聞かされました。

「少しでも腎臓が復活するよう望みをかけて
これから腎臓透析をすると言っていた。
もう看護婦さん達が準備していたから、
じきに始まるんだろうと思う。

それから、呼吸も弱くなってきているので、
人工呼吸器をつけるとも言っていた。
次に面会に来た時は、もう話せないらしい。」


辛い宣告を、
私達はただ受け入れるしかありませんでした。
誰も義父の代わりには
なってあげられないからです。

この時私はまだ、ドクター達の言う通り、
透析をかけたら、もしかしたら腎臓が
復活できるのかもしれないと思っていました。


マントル細胞癌なのに
「なんで腎臓なの?」と夫に尋ねると、

「これまで長い間受けてきた
化学療法や放射線療法は
同時に腎臓にダメージを与えるんだ。」という答えに、
私は言葉を失いました。

がんを治すために
誰もが必死に受ける治療で、
腎臓がこんなにも弱るの?


同じように治療の副作用で
自己免疫機能が落ち、
今、分かっているだけでも
9種類の敗血症とも同時に戦っている義父。

同じく副作用の浮腫で
退院時、近所の子供にからかわれ、
思うように行かない身体と容姿の変化に
ずっと心を悩ませ続けてきた義父。

私はこの事実に、
どうしても納得がいきませんでした。


つづく


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