西洋医学の終着点~集中治療室 No.7 あなたに会いたくてPart2

BIOレシピビオキッチンヨーロッパプルニエ

集中治療室の面会時間は
7:00-7:15
14:00-15:30
19:00-20:30
でした。

ブザーを鳴らして誰の家族かを名乗り、
許可が出てからドアが開くシステムでした。

許可を待つ間、
夫が言いました。

「これまでずっと”頑張れ!””弱気になるな!”って言ってきて
本人も”生きられるための努力なら何でもするから”と
その度に約束している。

だから不安にさせないように、涙は見せないで。
入る前と後はいくら泣いても良いから。
ぼくもそうしてるから。」



ドアが開くと夫が最初にお世話をしに行き、
すぐに「飲み物が飲んで良いと許可が出た。」と
戻ってきました。

「OKが出てすぐに”ネスレティーを”と頼まれたけど、
ここに無い。」と待合室の自動販売機で
コーラを買って戻りました。

そしてまず夫がパパと娘を会わせた後、
私の順番になりました。

「中に入って驚かないよう、心の準備をして。
ぼくが連れて行くから、周りは見ないで、
パパのところへまっすぐ行くんだよ。」


待合室から細い通路を通って
辿り着いた集中治療室は
円形に仕切りのない個室が配された
巨大空間でした。

パパがいました。
すぐパパだと分かりました。


先週の週末、
はじめて手足の爪を切ることを受け入れてくれ
「ダヴィッドからお礼もらって。」と
いつものようにジョークをとばしていたパパ、

夕食は夫がサポートしつつも
量は少ないながらも、いつも通りに
そして私の作ったりんごのコンポートまで
きれいに食べてくれたパパが、

集中治療室の装置に囲まれたベッドで
力なく横たわっていました。


”おとうさん―!”


パパと視線が合ったのを感じ、
私は引きつけられるように、笑顔で足早に
彼のベッドに歩み寄りました。

円形の集中治療室からは
反対側のベッドの様子も見えますが
半分は違う待合室から入る
また別の集中治療室です。

真ん中にあるスタッフのオフィスで句切られており
UFOの操作席のような部分があるデスクを中心に
8つの個室が並んでいました。

病院内の他の病室に比べると、
妙に広い。


薄暗い中、おびただしい数の医療装置が360度に光り、
装置の稼働する音と
やさしいようで不気味な不調和音によるモニター音が響く
異次元の空間でした。



10年前、パパががんと判った時から
家族からも友人たちからも連絡が途絶え、
私が来る前から
元々夫とパパは二人だけで暮らしていました。

娘が生まれてからは家族四人、
私達はぴったりと身体を寄せあって
生きてきました。

私達は丸6年間を一緒に過ごして
お互いの良い所も悪い所も知っています。

こんなかけがえのない存在が
他にあるでしょうか。


新婚当時からどこへ行くのも一緒で
「何でいつもなの!?」とよくイライラしたものですが、

集中治療室に足を踏み入れて、
はじめて私が間違っていたことを
はっきりと認識しました。


お義母さんががんで亡くなった中、
パパも同じ病気での闘病生活。

もっと一緒にいるべきだったんだ、何があっても。
この6年間、私は二人が見ている世界を
今日の今日まで理解できていなかった。
私はなんて冷たい人間だったんだろう。

そのことをようやく悟った瞬間でした。

言葉も文化も違う中、
いろんな事があったけど、
こんな形で大切な家族を
失いたくはないものです。


パパも私の顔を見て、喜んでいることが
分かりました。


"J'ai content revoir a toi."
会えて良かった―、

パパも頷いて二人で再会を喜び、

酸素吸入のための器具をつけていたパパは
私に何か伝えようと、少し身体を起こしながら、

"C'est difficille, mais, ca va."
難しい状況だけど、僕は大丈夫だから、

常に気丈に振るまい、
人に弱みを見せることをしないパパ。

はじめて C'est pas facille (簡単じゃない)ではなく
「難しい」という言葉を使ったところを見ました。

この状況でも私達に心配をかけないよう
「僕は大丈夫だから」と
その言葉さえも打ち消そうとする―。

ベッドの中で一人で戦う
聡明で勇敢な人を
たまらなく愛おしく感じずにはいられませんでした。

こんなにもやさしいあなたを
失いたくはない―。


"Je t'aime, Papa."と言うと、

パパははっきりと私の目を見て
"Moi, aussi." (僕もさ)と言いました。

私はおどけるように
" Oui, Je sais, Je sais!" と返しました。
(もちろん分かっていますとも)

涙を流す私を見て、
まるで孫娘に声をかけるように
"Pas de pleurer,"(泣かないで~)と言いました。

"Je t'aime Papa, 
J'aime David,
J'aime Ayumi,
On est famille, toujours ensamble."

というと黙って頷き
すぐさま態度を変え
他人行儀な顔で、

"Allez, a demain, allez,"

「じゃ、行きなさい、また明日ね!じゃあね!」と
この空間から早く出るよう、
いつものパパ流ジョークで私を即しました。

こんな状態でも気丈に受け答えして、
私を守ってくれようとするパパ。

意識があまりにもしっかりしているのに驚くとともに、
ここまで頭のきれるすごい人であったことに、
尊敬の念を感じずにはいられませんでした。


さすが、ベルギー空軍時代
管制官をしていただけのことはあります。

その姿に、今も現役で戦う
軍人としての誇りが見えました。


私は今、伝えておかなければ
いけないと思い、

「この6年間、色んなことを教えてくれて
ありがとうございます。」と言うと、
呼吸器の向こうから少しハッとしたように、
じっと私の目を見て、うなずきました。

ここで夫が「時間だから」と私を迎えに来て
私達は「また夕方来るから、頑張って。」と
集中治療室を出ました。

私達はその足ですぐ
病院近くのスーパーへ
ネスレティーの紙パックを買いに行きました。

最後の面会時間のために戻ると
別の家族の人たちが大勢来ていました。

「パパ、ママが…」と涙を流しながら
家族を呼びに来る人もいました。


夫が先に入ったものの、なかなか戻らず
面会時間があと15分に迫ったところで
「じゃあ、ママとパピーに会いに行こうか。」と
娘を連れて中へ入りました。


周りは見ないで、と言われましたが
オープンな空間なので
こればかりはどうしても
見えてしまいます。

家族に囲まれ話をしている
私と年齢が変わらないくらいの
若いお父さん。

まだあどけない4人の子供がいました。
とっさに、こんなに若い人が、と
いたたまれない気持ちになりました。

抗がん剤の副作用でしょう。
元の面影もないほどの浮腫で
誰の見舞いもないベッドに横たわる
モニターが脳死状態であることを示す人。


誰もが一見して
がん患者であることが分かりました。

隣の個室には大勢の家族が
広い空間いっぱいにつめかけていました。

私達の顔を見て、「あぁ、来たの」と
夫の顔がほころびましたが、
その時、隣のベッドで異変が起こりました。

見舞客で来ていたご婦人が倒れたのです。
直後に「ママー!」と呼ぶ叫び声が響きました。

「くそっ。これで二人目だ。」
夫が言いました。

「えっ、(今の)そうなの!?」

「だからこれじゃいけないと思って
君たちを迎えにきたんだよ。」

ただでさえがんと孤独に戦い、
まさに今も生きようと戦う患者の目の前で、
次々と周囲が絶命していくのです。

こんな残酷なことってあるのか、
末期がんのこんなに苦しい孤独な戦いが
自分の順番を待つだけのものでしかないなんて。

正直、そう思いました。



つづく


------------------------------------
X-POWER
寿命を幸せに全うする方法
今すぐクリック!
------------------------------------
BIOレシピ☆ビオキッチンヨーロッパ
チャンネル登録はこちら






スポンサーサイト
 カテゴリ
 タグ
None