西洋医学の終着点~集中治療室 No.4 がん患者メンタルサポート

BIOレシピビオキッチンヨーロッパフェンネルの花

義父の場合は義母さんも早世してある中で
10年にわたる壮絶な闘病生活。

簡単ではなかったけれど
そのうち私は6年間を一緒に過ごさせて
もらいました。

常に死の恐怖と隣り合わせの生活。

がん患者を抱えての生活は
やはり普通の家族の姿とは
違っていたと思います。

たとえようのない重たい空気が
常に家の中に流れていました。

本当は何度もこの場所を捨てて
飛び出したかったのです。

それでも今の私にとっては
人生の転換期とも言える
胸にかたく刻む経験となりました。


もともと「3年生きたら大満足」と聞いていたので
夫にひとり親の後悔だけはさせられないと思い
私が渡航を決めました。

もし義父が病気でなかったら
私はベルギーに来ていませんでした。

医食同源をテーマにした
このブログも存在していなかったでしょう。

これはこの6年間のヨーロッパ生活の中で
一世代分感覚が飛んだような
18世紀王政時代の古いフランス文化を守る
ワロン(ベルギーのフランス語圏)人の義父から教わったことです。

科学技術に包囲された
先進国の人達が忘れかけた
大切なことだから

価値ある内容と信じて
情報発信しています。


私は今もどこかで
義父と夫を支えることが、今生与えられた
私の使命のひとつであったと
改めて納得しています。

それでも実際は、
人一人の人生を支えるのは重すぎるので
元々は頻繁に往復するという名目で
こちらに渡航したはずでした。

ですが6年前に私が渡航した時点ですでに
義父は重度の躁鬱を2週間に1度の割合で繰り返しており
私達家族は義父の一挙一動に振り回されました。

何をしていてもぴったり後ろをついてきて
意味の分からないフランス語で話しかけてくる義父を
正直「怖い。頭がおかしい。」と思いました。


一緒に過して3週間目の朝、
夫に「職場について行きたい」とお願いして、

約1年後に自分たちの家の改修がひと段落つくまで
当時はまだ入れた
総司令本部に毎日ついて行きました。

侵略の歴史が色濃く残るヨーロッパ人の義父は
常に息子夫婦にも「家を取られないように」と思っていたようで
かたくなに冷水と熱湯しか出ないシャワーも
変えようとしなかったので

本部内の語学学校に通うついでに
プールに併設されている
シャワーを毎日浴びに行きました。

でも、だからといって「精神病」とか
「最近は良いお薬があるのに」とか
そういうことではないのです。


義父は死ぬことをとても怖がっていました。
日本人の生死感とは違うと思いました。

彼は常に死と隣り合わせの孤独に耐え切れず
家族に甘え、悲鳴をあげていただけです。

以前の手術後に発症した
帯状疱疹の後遺症もありました。
神経がかなり衰弱し、敏感になっていました。

家族にも理解してもらえない
そんな孤独や不安を

もし義父が境遇を同じくする人と
分かち合うことができていたら

お互いに励ましあったり
また反対に冷静に自分の置かれている状況を
観察する機会さえあれば


あんなに無駄に苦しまずにすんだのに、と
今でもそう思います。

結論を言えば、この10年間
どんなに精神的にもだえるように辛くても
どんなに身体が衰えて心の悲鳴をあげようとも

最終的に最後の集中治療室での恐怖に比べれば
何ということは無かったのです。

友達でも家族でも
人はそれまでたとえ頻繁につるんでいた人であっても

病気と知ったとたんに蜘蛛の子を散らすように
病人に近づくのを恐れ
見守りの姿勢に入りますが

それは患者とその家族を
孤立させるだけです。

人は「何か必要な時は連絡してくれ」と
親切顔して言いますが
その人が死に向かっていることではなく
今、生きていることに注意を払うべきです。

じっと葬儀の連絡を待つよりも
見舞いに来て顔を見せるなり
患者や家族の頑張りを理解してくれる方が
よっぽど親切だという意味です。

「生きている間はくれぐれも皆さんも身体に十分気をつけて、
今生きている人に愛情と注意を注いで大事にしてあげてください。
それが義父の願いです。」


これは幼い頃から一人で献身的に
両親の看病をしてきた夫の言葉です。

同時に、かりそめの関係なら
わざわざ敷居をまたいでもらう必要もありません。
その方が私達も、よっぽど余計なことに
エネルギーを使わずに済みます。

そして病気と分かっていても
わざわざ会いに来てくれたり
コンタクトを取ろうとしてくれる人は
どんなにありがたいか分かりません。

がんも糖尿病も高血圧も空気感染で
移ったりはしませんから。
インフルエンザより安全です。

だから、私達家族4人は
小さくても本当にぴったりと
お互いに身体を寄せあって
お互いを守ってきました。


プリミティヴ(原始)的でシンプルで
愛着に基づいた
本当の家族の愛と絆を学びました。


そんな私達であっても、

お互いにもっと早く素直になれていたら
もっと早く彼の孤独を理解していたら
もっとできることがあったのにと
後悔の念は尽きません。


疲れて肩で息をしていても
無理してでも旅行して
新しい風景を見せてあげるべきだった。

義父の好きな魚釣りにも
娘の成長を待たずに連れて行くべきだった。

義父は病気だと分かっていても
最後まで死ぬつもりはさらさらなかったので
本当はできたことを、少し先延ばしにしすぎました。

本当の親子だからこそ見えない
父子の砂時計を
私はただ黙って見守ることしか
できませんでした。


つづく


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