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外国人はみんな気付いてる?パックンが見たオウム後の日本と宗教

日本のことをもっと知りたい!と願ったら、日出る豊葦原瑞穂の国、日本の神様(月讀命)に導かれました。ヨーロッパのフランス語圏=ガリア=正統ケルト=西のシュメール直系の地に移住した筆者が、東の地で日本古神道に受け継がれる、宇宙や自然界の秩序に基づいた縄文文化との共通項を発見!かけがえのない地球と私たち八百万の生命とが、千代八千代に共生するための叡智を、次の世代に引き継ぐための「日本再発見ブログ」です。

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外国人はみんな気付いてる?パックンが見たオウム後の日本と宗教

外国人はみんな気付いてる?パックンが見たオウム後の日本と宗教

今日はこちらのパックンの意見からの軽い考察です。
約2年間のトロント留学中、
せっかくの機会なので、

仏教徒でも、普段から
神社にもお参りするのが当たり前という
典型的日本人の私にもかかわらず、

ほぼ全期間を通して、
近所のプロテスタントの教会の
聖歌隊員として活動していました。

基本的に教会は誰でもウェルカムですので、
自由の国カナダでは咎める人もおらず、
別に躊躇する必要も無い訳です。

日本比較神話学会
Eglinton-St.George United Church 
Image: http://esgunited.org/

まさにこの写真には
一緒に活動した懐かしいメンバーの顔が
並んでいますが、

当時の私は特に聖書の知識がある訳でもなく、
地域のコミュニティの一員になれるのであれば、

カトリックとプロテスタント、
オーソドックスなど、
細かい宗派の違いなんて、
全く理解してはいなかったのでした。

あえて、違う宗派との交流会や
合同コンサートなどの試みも、
盛んでしたしね。

当初、英語は全く聞き取れなかったので、
半年はコミュニケーションに苦労しましたが、

逆に心の垣根が無い分、ごく自然な形で
一般のカナダ市民の宗教への接し方を
観察できたので良かったと思います。

むしろ当時、

みんなが伝えてくれようとしていることを
ちゃんと理解できなかった
自分自身への悔しさが、

まずは下地として、
きちんと母国語(私の場合は日本語)で、
学習したいというモチベーションへと繋がり、

人種のモザイクであるトロントで見た、
コミュニティの多様性を理解したいと、

帰国後はまっすぐジュンク堂へ行って、
宗教概論や色んな文化、料理などの本を
手にとったという経緯があります。

歴史上、人口のほとんどが移民で構成される
北米、またヨーロッパでも

人々の背景にある文化や宗教は、
それぞれのアイデンティティに関わるため、
非常に大切にされています。

そうでなければ、
自分のことが分からないからです。

カナダの例を挙げれば、
新大陸とはいえ、やはり
新国家を作り上げるための過程において、

先住民であるイヌイットや、
アメリカン・インディアン、
また戦時下には日系移民を

政治的に厳しく迫害した
暗い過去があるため、

その反省として、
互いの背景や文化を尊重することが
学校教育でも徹底されています。

トロント市の中だけでも、
地域によっては自然と
移民の住み分けがされていて、

イタリア系で構成される
「リトル・イタリー」をはじめ、

中華系の「チャイナ・タウン」

インド系の「リトル・インディア」

韓国系の「コリアン・タウン」

ギリシア系の「グリーク・タウン」

アリルランド系の「キャベッジ・タウン」

他にもスペイン系、ポルトガル系、
ベトナム系、レバノン系など、
数えればきりが無いほどの
エスニック街を抱えています。

一方で、
もっと大きな視点で見れば、

基本的にイギリス系が
ベースとなって発展したカナダで、
フランス系が多いケベック州が
長年独立運動を展開するなど、

同じような民族運動は、
私が今、ざっと思うかべるだけでも、

スペインのカタルーニャ地方や、
ベルギーのフランダース州、
またイギリスのスコットランドや
アイルランドなどでも見られるし、

戦前にまで目を向ければ、

西洋諸国から植民地化されていた
アジア・アフリカ諸国など、
全世界で確認できるのです。

そんな中、

日本では敗戦した1945年から、
1952年の4月28日の主権回復まで、
連合国軍(GHQ/SCAP)の占領下にあり、

今も現在進行形で、
沖縄のみならず、
首都圏の地下や航空圏など、

まだまだ多くの地域で
日本の自治(防国)権の行使が
制約されているというのに、

※厳密な表現ではないかもしれません。
 ここでは、メインアイデアを
 読み取ってくださるよう、
 読者の皆様にお願いいたします。

自分自身の国や背景文化に対して、
現在でも無意識レベルでいられるところが、
海外からの人々には、
奇妙に映るのでしょう。

実際にパックンと同じ意見の人は
私の周囲に何人もいますし、
私自身がそう感じることもあります。

宗教は各自の文化と
直接結びつくものであるだけに、
アイデンティティの核とも言える
重大事項であるはずなのに、

どうして日本の人たちは、
宗教というトピックを
タブー視して避けたがるのだろう?

あんなに神社や仏像が好きで、
誇らしげに「日本」を語るのに?

神社や仏像めぐりは、
宗教とは関係ないとでも?

逆に海外の人は、
よその国に移民した人であっても、

「イタリアは世界一さ!」

「ブラジルに勝る美しい国はないわ!」

「フランスには何でもあるさ!」

「自分はカナダ人よ!」

「韓国ではこうするのよ!」

と、最初の自己紹介で
自分の国をいかにも誇らしげに語り、
彼らなりの愛国心を
全くと言って良いほど隠しません。

私も最初はその強烈なパッションに
圧倒されるがままでしたが、

そんな彼らの故郷を愛する気持ちは
しごく当然のものであり、
ある意味、そんな彼らが親しみやすく、
また、かわいらしくも感じられます。

そうか!この人はこういう人なのね!
イタリアにいるマンマ(お母さん)お手製の、
ポモドーロ(トマト)ソースが最高なのね!

と、初対面での印象として、
相手のことが理解しやすいのです。

ところが、
日本のことが好きで、
自ら進んで日本に来てくれている
外国人は全く別として、

海外に一般的な
日本に特には興味を持っていない、
自分の生活で忙しい人に、

日本のこと、
そして自分自身のことを説明するのは、
いざとなると大変むずかしいものです。

言い換えると、
にこやかでソツがないけど、

「自信がない」
「掴み所がない」
「重要性も感じられない」

と言った、

特に魅力のない人物として受け止められ、
どこかでスキップされているのでは
ないのだろうか?

ずっと心のどこかで
そう感じていました。

なので、言葉が流暢でなく、また
他にアピールすることもない私は、
思いっきり子供の頃に戻って、

「絵を描くのが好きです。」

と自己紹介するしか方法がなく、
自分でも「それが自分」なのだと
ずっと長い間思い込んでいたのです。

ですが、『マズローの欲求段階』を
見ても分かるように、

一度きりの自分の人生を
意味あるものとし、
自己実現を追求するためには、

他者、そして何よりも自分自身への
「承認と尊重の欲求段階」が
ある一定の条件を満たされなければ、
次の段階へは進めません。

日本比較神話学会 
Image: 自己実現論、cc、Wikipedia.

宗教と文化が密接な関係にあり、
たまたま日本の文化が
世界の中でも精神性を
重んじるものであるだけに、

それを「無視」したり、
自らの背景への理解なくしては、

自分自身のアイデンティティというのは、
本当の意味で、そして健康的に
構築することはできません。

どこかで壁にぶち当たった時、
必ず心の中で「現界」を、
感じることになるのではないでしょうか。

この件について、
私が思いをめぐらせた結果、

日本人としての
アイデンティティを封印する
一番大きな直接的原因となったのは、

やはり、第二次世界大戦での
「敗戦」であったように思います。

私の芸術の師の一人が
かつての特攻隊員の生き残りであり、
出撃直前に敗戦を迎えて、

周囲、そして日本人全体の価値観が
まるで180度転換した様子を目の当たりにして、

「何がなんだか、分からなくなってしまった。」

と感じ、自分の行き場を
見失ってしまったそうです。

ですが、今では宗教について、
まるでそっぽを向いているような人でも、

もしも、あの時、
日本が「勝戦」していたら?

その反応はおそらく今の日本とは
まったく違うものになったであろうことは、
容易に想像できます。

宗教は古代から最先端科学であり、

また文明(技術)であり、

政治的権威を握るための近道でした。

極めて現実的な話なのです。


なのに、パックンが指摘するように、

特に「オウム事件」以来、

日本ではそれを

情緒的・文系的・心理的なものとして捉え、


「個人の問題」としてつき放し、

時には見下すことで、


保身に向かう理論が

結果的に正当化されているように感じます。


でも、それでは

ここまで生命を繫いでくれた先祖達までをも、

否定してしまうことになりかねません。


例えば、私たちは元旦になると神社に参拝し、

ましてや年末から餅をついて準備をし、

鏡餅を床の間に、玄関にしめ縄を飾って

その日を迎えることを、学習し続けています。


でも、深いところで実際には、

その「意味」を知らないのです。


海外のさまざまな文化的背景を持つ人たちが

自分たちの宗教や文化を把握した上で、

せっかく日本の文化に

興味を持ってくれたとしても、


それが説明できない日本人は、

相手の文化を本当の意味で

尊重してあげられるのでしょうか。


何よりも、自分たちで作ってしまった

”宗教を無視する”という「暗黙の了解」を

突破することで、


今後ますます加速する

本格的な国際化社会を生き延びる上で、


日本が真の国力をつけ、

ブレイク・スルーするきっかけに

なるのではと感じています。


日本の本当の「資源」は

「民(公)」である私達一人ひとりです。


留学してはじめて、


クリスマスは西洋で、

基本的に独身なら実家に帰って、

家族と一緒に

静かに過ごす日であることを知った時、


私は日本の商業的クリスマスとの

違いを思い浮かべて、

思わず恥ずかしく、

顔を赤らめてしまったのでした。


ですが、そのクリスマスさえも

よくよく調べてみると、

「冬至」の祭祀の変形で、

キリストの誕生日でも何でもありません。


宗教を意識的に避けた結果、

いかに人々が政治的・経済的に

利用されてしまっているのか、


生まれたら神社でお宮参りをし、

死ぬときはお寺へ入る

典型的日本人の私達が、


クリスマスやバレンタインデーを祝い、

教会で結婚式を挙げる。


それはそれで良いし、

楽しみはいくつあっても大歓迎なのですが、


そんなオープンで無邪気な

無宗教さにつけこんだのが、


もし、「大企業」や「経済力」という

宗教であったら?


少しでもそれを考える

きっかけとなることを祈ります。


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