安心してね、パピー。

欧州子育て日記 
YOSHIKOです、

今日は感慨深い日となりました。
私の7年間、いや
8年間の戦いに、
ひと区切りがつきました。

義父の愛してやまなかった家と、
義父が大事にしていた車、そして、
1ヘクタールの土地を守りました。

もちろん補填はこれからで、
将来売却ということも
可能性としては
ありえるかもしれませんが、

とりあえず、
相続税をのがれるための売却や、
政府に差し押さえられる事態は
まぬがれた訳です。

みんなが私たちに
「あなたのため」
「重い荷物を背負う必要ない」と
優しい声でアドヴァイスをくれました。

銀行の係員も
まさか私たちが「相続しに来る」とは
思ってもいませんでした。

でも、夫の新車を手放しても、
家を一旦空けてでも、
私たちには
守りたいものがあったのです。

これで、

羊くんたちや
りんごの木がある風景は
これからも変わらず見られるし、

義父の家を
娘にゆずり渡すという責任も
果たすことができます。

8年前、私は夫に連れられて
はじめてこの町を訪ねました。

昔、ヨーロッパはひと通り
鉄道で一人旅をしていたので、
多分大丈夫だろうと思っていました。

でも、ここは国際鉄道が通る
ブリュッセルと違って、
走っても走っても、一面の緑の中。

欧州子育て日記 
この町はすでに観光地でしたが、
想像以上の風光明媚さに、

数年間なら考えるけど、
住むのは絶対無理!

と思いました。

夫にも正直にそれを話し、
渡欧はかたくなに拒否しました。

でも、一人息子である夫には、
面倒を見なければならない
お義父さんがいます。
しかも病気だそうです。

「土着」という言葉がぴったりの
この土地で生まれ、
この土地に生き、
この土地を愛するお義父さん。

この年齢とこの状況で、
彼がよそへ移るとは
とても考えられませんでした。

あとに描いたマンガ
”Lonie Wallion”は、
そんな義父の名前と、
このワロン(Wallonie)の綴りをもじって、

彼の、へんてこりんでへそまがりで、
あまのじゃくな性格を
そのまま4コママンガにしたものです。

※全部実話です。
 日本語訳は各写真についています。

欧州子育て日記

とても似ていると、評判です。

実はあまりに似すぎているので、
本人に見せられた時には
マジで焦りました。

本人は、あきれながらも
珍しく自分にスポットライトが当たって、

こんなブラックユーモアでも
まんざらでもない風でしたが…笑。

嫌な性格

結局、とりあえず3年間の約束で
私が渡欧することになりました。
でも、義父はそんな話、
何も聞かされていなかったみたいです、笑。

そして渡欧直後に気がついた、
2週間周期にやってくる
義父の激しい躁鬱。

前に一度、パリで会った時には
あんなにチャーミングな
人だったのに?

夫にとっては
それが自分たちの日常と、
思い込んでいたのだそうです。

いつ再発するか分からない
病気への見えない恐怖に
耐えられなかったのでしょう。

一週間が鬱で、
次の一週間が躁です。
それは丸4年間、
絶え間なく続きました。

しかもどんどんエスカレートし、
ある日、私たちにも限界が訪れ、

私たちは決裂し、

それまで一緒に食べていた
晩ごはんをやめました。

せっかく私たちが
良い一日を過ごしても、

赤ちゃんがいて、
おじいちゃんもいる、

三世代揃ったの
幸せなはずの家族の食卓が、
いつも台無しになるからです。

悪夢のような出来事のあと、
私たちの家から、
食卓テーブルが姿を消し、

小さなコーヒーテーブルが
私と娘の食事の場所になりました。

義父ともういちど距離を
とりなおすための
むずかしい作業が続きましたが、

このことをきっかけに、

義父は変わりました。

私たちに甘えるのをやめ、

娘の良きおじいちゃんとして、
娘のために生きるようになりました。

欧州子育て日記 

彼が感情をコントロールしようと
努力している姿もよく分かりました。

パピー(おじいちゃん)のことが
大好きな娘のために、
最後まで優しいおじいちゃんに
徹してくれました。

立派だったと思います。

それでも、

根っからのヨーロッパ人ですから、
ずいぶんと意地悪もされました。
決して私との関係が
良かった訳ではありません。

でも、私は義父との6年間を通して、
がんと一人で向き合わなければならない
孤独と将来への不安への苦しみが
どれほどのものか、

生身の人間が戦う姿を、
その傍らで見たのです。

あれもしたいし、
これもしたいけど、
自分には許されない。

愛情もかけられたいし、
注意も向けてほしいけど、
弱い者扱いはして欲しくない。

そんなふたつの感情が
交差し続ける義父に、
私たちは振り回され、

義父の言葉と態度を
真に受けて喧嘩になるか、

あるいは少し距離を置いて、
見守ることしか
できませんでした。

気付かないフリをして
あえて娘の前では
おじいちゃんの役目を果たすよう、
強いたこともありました。

義父も自分のプライドを守るため、
和解してからも、ぎりぎりまで
自分で夕食を作ることに
こだわりました。

私たちがふたたび
やっと同じテーブルで
食事することができたのは、
結局、最後の1ヶ月だけです。

そんな関係だったので、
あれだけ、いつも、いつも、
一緒にいたのに、

お互いに強がって、
優しい言葉のひとつも
お互いに
かけられませんでした。

そもそも、いつまで経っても
言葉も通じませんでした、笑。

”あなたたちも
精一杯頑張ったんだから、
今頃、お義父さんも感謝してるよ。”

そんな「総括の言葉」が
欲しい訳ではありません。

どんな形であれ、誰にでも最後は
後悔がつきまとうのが人間です。

でも、最近の科学者が言うように、

「過去」と「現在」と「未来」は
すべて「今」の一点にあると思えば、
義父は心の成長を今も続ける存在であり、
私たちとも常に交流をしています。

父と息子の絆があるように、
義父と私は
戦友のようでもあるのです。

そう考えれば、

私たちの友情は、
これからの方が長い。

義父のワガママがピークに達した
2年前が、
ちょうどドクターが示した
「余命であったはず」の時期と重なります。

長い抗がん剤治療の一方で、

義父は「質の良い食事」にこだわり、
この土地で育まれたものを食べ、

少々値段は高くても
フランス伝統の昔ながらの
オーガニック食材を
手に取る人でした。

つるむ友達はいませんでしたが、
小鳥のさえずりに耳を傾け、
羊たちの世話をし、
自然を愛する穏やかな人でした。

そうやって、
余命から2年も長く生きたのです。

10年間の闘病生活、
筆舌にしがたい葛藤を
乗り越えてまで、
義父は自身の魂の成長を望みました。

最後になればなるほど、
義父は、私たちが驚くくらいに
力をふりしぼって、
勇敢に戦う戦士そのものでした。

若い頃は空軍管制官として
従軍した人です。

その後もミリタリー好きを
生涯通しましたが、

私たちは力尽きるまで、

戦って、

戦って、

戦わなければならない。

それを見事に背中で
教えてくれました。

だから、

相続税も、人生も、
諦めません。

私はというと、

あんな意地悪な人にまで、
「善意」のヴェールで取り憑いてしまう、
「西洋医療」というシステムに、
すっかりあまのじゃくになりましたけど。

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